この日は弟が予定を変えて帰省してくれました。
弟は某世界的IT企業で超多忙な生活を送っています。
僕は車で高崎駅まで迎えに行き、面会可能時間の14時半ごろに病院に到着しました。
父は既に母の病室にいました。
弟は想像以上に衰弱している母を見て呆然としていました。
弟には毎日、電話やラインで母の状況を伝えていましたが、つい数日前のビデオ通話では母は自分でスマホを持って弟家族と笑顔で話していたのです。
僕はこれが最後になる予感がして、涙をこらえながら、子供の時から一緒だった家族4人で写真を撮りました。
少しして、父は夕飯の準備のため、今週初めからのルーティン通りに家に戻りました。
母は目に力がない状態でしたが、まだかろうじて意思疎通できました。
弟の手を握り、しばらく弟を見つめていました。
僕は持って行った、あまおうゼリーを食べられるか母に聞きました。
これは母がまだ家にいたときに、最後に食べさせてあげたものでした。
母は最初は少し首を横に振りましたが、「お願いだから少しだけ、ほんの少しだけでいいから食べてほしい。」とお願いすると、口をあけ、ほんの少しずつ、二口食べてくれました。
弟は台湾に帰省中の弟の奥さんに連絡して、孫とのビデオ通話をしてくれました。しかし母はもうあまり反応を示せず、じっと画面を見つめていました。
僕らは2時間ほど母と一緒に過ごしました。
母が起きているときは、2人で交代でなるべくやさしい声で話しかけ、母が眠っているときも手を握り続けていました。
ゆっくりと穏やかに時が過ぎていきました。
面会時間の終了を看護士さん告げられ、仕方なく病室を後にする時にも母は眠っていました。
僕は母を起こしていいものか悩みましたが、これが最後になってしまうかもしれない可能性を否定できないので起こすことにしました。
そして母の肩を軽く揺らそうとした寸前に、母は目を覚ましました。
僕は母に顔を近づけ、「また明日くるね。たくちゃんも明後日にくるからね。みんなお母さんのこと大好きだからね!僕が一番大好きだと思うけど・・・(笑)。ありがとう。強くなるからね。心配しないでね。」と伝えました。
弟も母に思いを伝えました。
その後、母は目を閉じました。少しして母の寝息を聞いた後、僕たちは病室を後にしました。