つれづれなるままお散歩日記(仮)

仕事を辞めてIターン。母との散歩が日課の男の日記・・・だったはずなのに・・・

面会可能な最終日

今、母が入院している病院はインフル&コロナの対策で明日の月曜から面会全面禁止となります。

 

母は寝たきりで鼻から酸素を吸入している状態で、化学治療のために胸に入れたポートから点滴を行っています。

不幸中の幸いで、脳梗塞後も会話はほとんど問題ないものの、LINEはできないし、自分で電話にでることも難しくなってしまいました。

もしかしたら、このまま会えずに、会話もできずに亡くなってしまう可能性も否定できません。自分はいてもたってもいられませんでした。

 

僕は看護師さんにこれから毎日、母の電話にでてもらえないか、または自分に電話してもらえないかお願いしました。

不覚にも、その最中に涙が溢れてしまいましたが、看護士さんは了解してくれ、毎日12時半と19時以降に電話してもらえることになりました。

とても感謝しています。

 

普段は面会時間に厳しい病院ですが、この土日は長く面会させてくれました。

父と共に母の病室に1時間ぐらいいることができて、その中で弟と弟の奥さんとビデオ通話できました。急に電話してしまったこともあり、この日は最愛の孫のたくちゃんが学校で不在でしたが、母は話ができたことにとても喜んでいました。

翌日にはたくちゃんもいるとのことで、ビデオ通話の約束をして終了しました。

 

日曜日も父と一緒に面会可能時間になってすぐに母のもとに行きました。

母は前日よりずっと元気がありました。

さっそくビデオ通話をして画面にたくちゃんが出ると、母は自分からスマホを持ってとてもうれしそうに会話しました。

弟や弟の奥さんとも長く話せてとてもよかった。30分ぐらい会話できたと思います。僕もうれしくて涙がでました。

ビデオ通話を終えてからも母は暫くテンションが高く、会話が弾みました。

父も喜んでいました。

 

少し安心して父と一緒に家に戻り、今度は母の弟である叔父を連れて病院にいきました。叔父にとって母は唯一の2親等以内の親族です。

母はタバコの匂いをとても嫌がるので、叔父は前日からタバコを我慢して臨んでいました。

一応、面会は「1日1回15分。2人まで。」という規制があるので、少し心配していましたが、僕も無事に病室に入れました。

母は叔父と会って少し微笑みました。

叔父はあっという間に弱ってしまった母の様子を見て驚いた様子でした。少し顔を上に向け、しばらく暗くなった8階の窓から外を眺めていました。

 

僕はその時間もずっと母の手を握って語りかけ、30分以上会話しました。

別れ際、僕は何度も手を振って一度病室を後にしようとしましたが、いたたまれなくて母に軽く抱つき、鼻声で「本当にありがとう。おかあさんのおかげで群馬に来て楽しかったよ。また会おうね。家に帰って来てみんなでお話しようね。」と言いました。

母は「私が泣いちゃうじゃない。強くなって。」と言いました。

僕は「強くなるよ。心配しないでね。」と言って母と別れました。

 

今日は、なるべく後悔しないための最低限やるべきことを実行できたのはよいですが、それと共にとんでもない寂しさが襲ってきました。

僕は家に帰っても食事が喉を通らず、暗く塞ぎこんでいると、久々に父に怒られました。「みんな悲しいんだ。強く生きなければダメだ!」と言われました。

僕はハッとしました。つい1時間ほど前に母にも「強くなって。」と言われたばかりです。

「お母さんにも全く同じこと言われたよ。」と父に伝え、謝りました。

 

それからは僕もなるべく気丈に振舞うように努力しました。

僕はいつも父が意外と普通にしているので、僕ほどはつらくないのかと感じ、少し苛ついていましたが、父も当たり前にかなり辛く悲しいのです。僕に悲しむ姿を見せないようにしていたのです。

母は僕に「お父さんとは最近よく口げんかしちゃうけど、これまで手をあげられたことどころか怒鳴られたことも一度もない。ずっとやさしくしてくれた。すごく感謝している。でも昔ほどはやさしくなくなったかな。」と言っていました。

そして、「今、一番やさしくしてくれるかっちゃん(自分のこと)には、ここ数年だけでも1度怒鳴られた」と言いました。申し訳なさそう謝る僕を見て、母は笑いました。

 

少し冷静になって考えてみると、父は昔から家のことすべてを母に任せていましたし、僕以上に母に依存していました。つい最近までクイーンサイズのベッドで母と一緒に寝ていました。母は太陽で、父も僕もその周りを回って暮らしていたのです。

 

暫くして父は僕の部屋に来て、もう一度、「強く生きなければダメだよ。頑張ろう。今日は一緒の部屋で寝る?」といいました。

僕は驚きました。父から一緒の部屋に寝ることを提案されたのは、少なくとも大人になってからは初めてです。

家族みんなで溺愛していたミニチュアダックスのカートが亡くなった日、東京にいた僕と弟が高崎の家に帰り、家族みんなで同じ部屋で寝たことを思い出しました。

こんなことがあり、父にももっと優しくしたいと思いました。

 

父のおかげで少し元気を取り戻した20時ぐらいに電話がかかってきました。

発信先を見ると母からでした。びっくりして慌てて電話に出ると、やっぱり母でした。

「自分で電話掛けられたの?」と聞いてみたら、スマホに着信履歴が表示されているのをみて、何かあったのかと思って看護師さんにかけてもらったとのこと。

僕がお昼ぐらいにかけた電話の着信履歴を見て、心配になって掛けてもらったんですね。

心配性なところは変わらずです。とても嬉しかったです。

 

この日は父の提案通り、父のベッドの隣に置いてある、最近母が使い始めたばかりの介護ベッドで寝てみました。暖かく、湿度も丁度よく快適ではありました。

暗い部屋で少し話した後、父はすぐに寝入りました。昔からとても寝つきがよいのです。

自分も寝ようとしましたが、やっぱりどうしても寝付けませんでした。

僕は深夜2時を過ぎた頃、父に申し訳なく思いつつ、そっと自分の部屋に戻りました。