つれづれなるままお散歩日記(仮)

仕事を辞めてIターン。母との散歩が日課の男の日記・・・だったはずなのに・・・

衰弱が早すぎて・・・

今日は午前中で仕事を切り上げ、今、自社にいる5人で昼食会にいきました。

もちろん、社長のおごりです\(^o^)

これが普段ならうれしいことなのですが、最近は食事が喉を通らないことが多いので、食べれるか心配していました。

直前まで「ソバなら食べれるかな?ゆっくり食べなきゃな。」と思っていました。

 

社長が連れて行ってくれたのは「いっちょう」という、昼は定食屋で夜は居酒屋になるタイプのお店でした。

予定通り、そばにしようかと思っていましたが、どなたかがカキフライを注文したのを聞いて飛びつきました。暫くカキフライを食べていないことを思い出したのです。

久々の熱々カキフライはとても美味しかったです。

頭には母のことがチラついていましたが、完食して楽しく会話できました。

 

解散した後、すぐに母の病室に行きました。時間はまだ14時。今日は3時間ほど母と過ごせます。

母は日に日に衰弱しており、この日は黄疸が強くなっていました。

声が聞き取れないほどか細くなり、極端に口数が減りました。食事もほとんど口にできないそうです。僕がいた間もほとんど眠っていました。

僕はずっと母の近くにいて、目を覚ましたときに、少しずつゆっくりと話しました。

 

「何かしてほしいことある?」と聞くと、母はゆっくり口を指さし、「拭いて・・・。」と言いました。

母は全身の筋肉が落ちてしまってからも、歯磨きにはかなり気を使っていました。歯間ブラシでキレイにするのが好きでした。

僕はティッシュを濡らして母の渇いた唇を潤し、できるだけやさしく歯を掃除しました。

ウイダーインゼリーなら飲めそう?」と聞くと、母が「お水・・・。」と言いました。

お水が手元にきれいな水がなかったので、「お茶でもいい?」と聞くと母がうなずいたので、コップにお茶を入れてストローを口元に差し出しました。

母は心配になるほどストローを吸っていましたが、飲み終わった後もコップには7割ぐらいのお茶が残っていました。

僕は面会可能な時間が尽きるまで母の手を握っていました。

 

母はほんの少し前まで、体を支えられながらも自分で歩いて外食に行けていました。

このペースで衰弱してしまうとは想像できませんでした。

今考えると本当にギリギリまで、家で家族一緒に過ごせるように頑張ってくれていたのです。

あまりにも急で、あと何日残されているのかと胸が締め付けられるような思いですが、せめて明日やってくる弟と、今、台湾の実家に帰省している弟の奥さんと最愛の孫がやってくるまではこのままで。できることなら、もう少しだけ元気を取り戻してほしいと願っています。